郷土史点描(14) 宮武 紳一
幸町・新栄町を訪ねて
幌別町の東側オカシベツ川(オカシ・ウン・ペツ、川尻・魚捕小屋・ある・川)からJR室蘭本線の南東側、
国道を中心に広がる地域が「幸町」。また、北海道曹達工場東側道路を境に、JR室蘭本線から北西側の
工業団地や山麓地と雑木林、牧草畑の平野地が「新栄町」で、ともに新栄町の今野の沢から幸町6丁目いずみ亭
東側の農業用水路で富浦町に接している。
両町とも22年前の昭和49年の町名改正で誕生した新しい町です。
昭和の初期頃は、海岸から砂原に上がると、ムリツチ(コウボウムギ)という山荒らしの背の針のような若芽が生え、
ハマボーフ・シロヨモギ・ハマエンドウ・当地方でハマナシと呼ばれたハマナス原があり、国道沿いは潮風に強いカシワ
の木で被われ、疎林(そりん)の下草にスズランの群落が広がり、室蘭方面からもスズラン狩りで大勢の人で
賑(にぎ)わったことを思いだします。
現在、幸町1丁目に昭和37年操業開始の三洋工業、2丁目に同40年完成の市清掃工場、東興ブロック工場、日の出
野球場があり、4・6丁目は砂の採取とともに土地整備が行われ、資材・車輛置場に変容し、昔の砂丘状の浜の状景や
カシワ林も消滅、往時の面影も急速に失っていきました。3丁目レストランたろう付近のカシワの疎林と、5丁目の
住宅地帯をすずらん団地名称として僅(わず)かに名残をとどめております。
海岸、国道、JR室蘭線と丘陵に阻(はば)まれ、冨浦町まで続く長大な地域ですが、
町名の由来も、今後の新しい町づくりと未来への発展に、幸の多いことを期待し、新しく
生まれ栄える町としての願いから「幸町・新栄町」と命名されましたが、町名変更以前は、
西方が字千歳町に、東側は冨浦町に属しておりました。また60年以上も前は、オカシベツ・
サトオカシベツ・サツナイ・ランボッケ・モセウシナイなどと、幌別側から子字地名で呼称されていました。