郷土史探訪(4) 宮武 紳一
知里真志保を訪ねて
この美しいユーカラの詩の一節は、十九歳の若さでこの世を去った、知里真志保の姉、知里幸恵のノートに
綴られた「アイヌ神謡集」の「梟の神の自ら歌った謡」の一節にあります。
登別小学校前に札幌街道「旧国道」を西の方にのぼりつめると、まもなく南の方に広がる、ハシナウシ(海の幸を祈る
幣場のあったところ)の丘があり、平坦な場所の東の方に、知里真志保の功績をたたえ、霊をなぐさめるために
建てられた立派な石碑があり、この詩の一節がここにきざみこまれています。
昔、この北海道には、そして登別地方にも、アイヌの人達によってつくられた生活と文化がありました。
しかし、これらは消えてゆく悲しい宿命を背負って新しい時代の渦に沈んでいきました。
その中で、貴重な数々の記録が系統的にまとめられ、研究、発表されるという偉大な仕事が、知里真志保を
はじめ、姉の幸恵や叔母の金成マツ、そして祖母のモナシノウクという、登別の生んだ素晴らしい人々に
よって進められたのでした。