郷土史探訪(17) 宮武 紳一
「カニ・サシ・ペツ」の源流を訪ねて「鉱山町」
小学校時代、学習した地図帳に幌別の地名があり、鉱山印が記入されていたことを思い出します。
晴天に恵まれた五月末の日曜日、郷土文化研究会会員十三名で金・銀・銅・硫黄などを産出した
幌別鉱山跡の昔をしのび、多少、山師の気持ちを味わいながら学習に出かけました。
案内者は鉱山町に生まれ住む千葉辰男さん(六十八歳)で、生粋の鉱山人。
鉱山事務所跡、硫黄・銅の製錬所跡、硫黄山への架空索道跡、それにライバエオマペツ
(来馬に水が向かっている川)の鉱山鉄道架橋も朽ちはて、日本一の硫黄生産を誇った
往時の繁栄を思う時、現在の姿は痛々しい風景です。
千葉氏先導車の案内で鉱山製錬所跡を右手に、鉱山町の旧社宅跡、白滝坑跡を左手に遠望し、
シノマンヘツ(本流の上流)を西北の方向に進む。そして前方に山田秀三先生のアイヌ語地名にある
アソイワ岳(幌別川の源流を発する)が屹立している。