郷土史探訪(11) 宮武 紳一
外国地図で紹介された古いまち「幌別町」
登別市内の地名でもっとも古くまた、登別地方の行政の中心として江戸時代から知られていた
所は現在の「幌別町」です。
有名な「コシャマインの乱」を鎮定して蝦夷地に勢力を伸ばした蛎崎氏が、大阪城の徳川家康を訪ね、
蝦夷地の特産物を献上しましたが、そのときの献上物のひとつが「蝦夷地三絵図」という蝦夷の地図を
説明し領国として認めてもらいました。この地図の中でイブリ国に六領がおかれ、その一領として「ホロベツ」
の地名が出ています。
これが登別市内最初の地名で、現在の「幌別町」に引き継がれているわけです。
豊臣秀吉の時代にも、蝦夷島のイブリ国に六領をおく、その一領としての「ホロベツ」の名があり、
市役所の側に妙見稲荷社の「堂宇」があったと伝えられていますが明確ではありません。
蝦夷地の「場所」の開設は早くから行われたものと考えられます。「蝦夷地一件」という資料をみますと
「慶広代ヨリ以後追々相開き候儀にて…」と書かれておりますので、道南地方の松前に近い「ホロベツ」
「エトモ」「ウス」「アフタ」「シラオイ」「ユープツ」などイブリ六領の地域は、相当早くから知られて
いたものと思われます。