郷土史点描(16) 宮武 紳一
知里真志保の顕彰碑を訪ねて
昭和36年(1961)に52歳の生涯を終えたアイヌ語学の世界的学者、知里真志保を称えた「顕彰碑(けんしょうひ)」が、
彼の母校である登別小学校校舎前に移設された。
顕彰碑の建立は、登別に住む室中同窓生を中心に、地元有志や多くの人たちにより、郷土の誇る偉大な言語学者の偉業を讃え、
その功績を後世に伝え、また霊を慰めたい、という趣旨からで、13回忌の命日にあたる昭和48年6月9日に蘭法華の高台にたてられた。
アイヌ語地名研究の第一人者で北海道曹達株式会社の社長・会長を務めた故山田秀三氏の寄稿碑文もあり、4メートルにおよぶ
黒花崗岩の碑石も立派である。
真志保の碑の中心に、姉幸恵が18歳の時に東京の金田一京助に送ったアイヌ神謡集の、梟(ふくろう)の神の自ら歌った謡(うた)
「銀の滴降る降るまわりに」の文が記されているが、しかし碑文には「銀のしずく、降れ降れ、まわりに」になっている。
このあたり、真志保がアイヌの過去の歴史を代表して熾烈(しれつ)な戦いに挑んでいた表れがあったと推測されるが如何(いかが)であろうか。