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「北海道幌別漁村生活誌」

第四章 舟の話

一 舟の種類

 當地方に使用されてゐる舟の種類は
 イ 磯船
 ロ ドカイ
 ハ ホッチ
 ニ サンバ
 ホ カヨイセン
 ヘ カワサキ
 ト カガテント
 チ 發動機船
 等であるが、磯船はこの中の八割をしめてゐる。
 秋から冬を通して翌春まで、當地漁師の大部分が従事してゐるホッキ●、蟹網、 等には殆んど磯船が使用されてゐるので、こゝでも磯船に就いてのみ説明する。
 他の舟のうち、發動機船、カワサキ、カガテント、カヨイセン、等は五六人から十人位 まで乗組んで、沖合漁漁業に従事する。ホッチ、ドカイ、サンバ、等は主として、鰮建網 に用ゐられるものである。
 これ等に就ては、續巻の「鰮建網」及び「沖合漁業」等の項で、それぞれ説明する豫定である。



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二 磯船の話

 磯船は、ムダマ(底部)とカイゴ(舷側)によって形造られてゐる。これに アバラ(肋骨)がついて、ムダマとカイゴを押へてゐる。
 イ ムダマ
 前述の如く、舟の底部であつて、舟の部分品の中で最も重要なものである。
 用材は主として桂である。木の大きさと、舟の大小によつて、ムダマは二枚合せ の事もあり、三枚合せの事もある。三枚合せの場合は、眞中のものを「中(なか)チョ」 といひ、兩側のものを「ハダチョ」といふ。

 ロ カイゴ(タナ)
 兩側の舷側のことである。
 主として杉を用ゐてゐる。普通二枚繼合せてゐる。

 ハ アバラ
 主として楢、栗、等の堅い木で造られたもので「く」の字形を呈してゐる。
 これは、ムダマもカイゴを押へてゐるもので、人間の肋骨からきた名稱である。



 ニ 舟の大きさと價格
 圖に示した、全長二十五尺、幅四尺、位のものが磯船の普通の大きさである。
 浪の靜かな内海では、これより遥かに小さな型もあるが、當地は名高い荒海なので、 大抵この位の大きさのものを使用してゐる。
 この位の大きさの磯船をはぐ(新造する)には百二三十圓を要する。



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三 磯船の附属品

 イ 櫓  磯船に使ふ櫓は小型のものである。車櫂を併用する場合は、艫櫂 だけでよいが、車櫂を用ゐない時は、脇櫓(わきろ)も使ふ。脇櫓の ある時に限り、艫で使つてゐる櫂を艫櫂と呼ぶ。脇櫂は艫櫂より小さい。
 櫓は殆んど樫で造られている。ロウデには、樫、楢、楓、等が用ゐられてゐる。

 ロ 車櫂
 車櫂は、舟のコビリへ、クカマといふ、直徑一寸位、長さ五寸位の棒を立てて、これを車櫂 の「クカマ穴」へはめ込んで、ボートのオールの如く漕ぐのである。
 車櫂は近年あまり使用されなくなつた。用材は、シウリ、アサダ、朴、等である。

 ハ 早櫂(さつかい)
 主として、舟が陸へ着く時に使ふ櫂である。用材は、楢、アサダ、楓、ガンビ、等である。
 これを使ふには、舟のネバリへカイビキといふ縄を緩く縛つて置いて、そこへ櫂を入れて漕ぐのである。

 ニ 帆
 帆はあまり多く使用されてゐない。普通、菓子屋の粉袋を利用して造る。形は三角が一番多い。

 ホ マキド
 舟を陸に巻上げる道具である。

 ヘ ゴロ
 ゴロは、長さ六尺、直徑三寸五分の丸木で、舟の底へ敷いて、舟を陸へ巻上げるのに使ふ。楢、楓、アサダ、 ガンビ、榛、等が使われてゐる。

 ト シチ木
 シチ木は、長さ十二三尺、根部の直徑三四寸の木の兩側を削つて平たく したものである。これはゴロが砂へ埋まらない様にする役目を有つてゐる。 榛、シコロ、柳、ガンビ、等が多く使はれてゐる。



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第五章 延縄

一 アイヌの延縄

 延縄は随分古くから使はれてゐたらしく、現在は五十歳位になる人々に訊いても 「俺達の知らない頃からやつてゐるナ」
 と云ふのである。板久孫吉氏は
 「明治二十二年にこゝらのアイヌ達に土地を分けて呉れたんだ。その頃(あたり) もう延縄なんて、新しいもんでなかつたヨ」
と云つて、アイヌの延縄に就いて話してくれた。

 その頃のアイヌの延縄は、ケタは科(しな)の木の皮を撚つた縄(nipesh-tush)、  ヤメはおほばいらくさの皮(ipis-hiship-hai)又は、つるうめもどきの皮(punkar-hai) で拵へたもので、それにアゲの無い針を附けたさうである。
 針は普通一匁針と云つてゐるもので、シドの長さ一寸五分のものである。これを二尺の ヤメに附けて、六尺間(ヤメとヤメの間が六尺)にする。
 笊は直徑二尺五寸のもので、普通一隻(ぱい)の舟で、三四枚位もつてゐる。
 主として獲れる魚はオヒョウ(hapeu)と眞鰈(kuchimome)であつた。随分多量に獲れたらしく、 現今なら一枚二三十銭もする眞鰈が、十銭に三十枚であり、それも買手が少いため、多くは乾したり、 鹽漬にしたりして、自家用に供したさうである。
 「オヒョウなんか、畳一枚位のものがざらに居たもんだ。そんな大きな奴は、針さ附いても 舟さあげられないから、傍まで引き寄せて置いて、鹿の生角(いきつめ)で拵へたハナレで突いて、 曳つぱられて歩つて、殺してからあげるんだ。眞鰈なんかも、大きな奴は暴れるから、口の中さ タカマを入れて、捩つていゐて針を外づんだ」
と板久氏が云つた。
 延縄も明治三十六年頃から次第に改良されて來て、二尺五寸間になり、ヤメは尺五寸になつた。そしてこの頃 から錫掛針が使用される様になつた。鐵針では鹽水に會ふと直ぐに腐蝕していまふからである。針つくりも 錫かけも、材料だけ買つて來て、自分で拵へたといふことである。



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ニ 現在の延縄



 現在使用されてゐる延縄は全部錫掛針で、ケタ網は十三號の綿絲、ヤメには五號の綿絲を 使つてゐる。
 沖縄はトロールに荒されて全然見込が無いので、近頃は灘縄が主である。併しそれさへも 年毎に獲れなくなつて、延縄ばかりでは食つて行けなくなつた。
 現在獲れるのは主として鰈類で、これに蛸、鰍、カスベ、などが混つてゐる。



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第六章 シリカップ獲り

 これは明治三十五六年頃まで此の地方に行はれてゐた方法である。 當時十三四歳の腕白盛りで、いつも此のシリカップ(※1 shirikap) 獲りについて歩いたといふ板久孫吉氏の語るまゝを書く。
 「あの頃(あたり)の舟なんていふものは全(まる)つて玩具(おもちゃ) みたいなもんでな。今から考へて見れば、よくま、あんな不安全なものさ 乗つて、五里も六里も沖さ出て、二日も三日も居れたもんだと思ふな」-と 如何にも感慨深げにいふ。
 「その舟つてどんな舟さ?」
 「なあに、何(なんに)も無いただ丸木を刳(ほ)つて拵(こさ)へた もんで、カイゴ(※2)なんかシ●(ツの半濁音)カップ(※3 shitukap)で繋いであるだけ だんだ。長さは、さうだな、一丈五尺位のもんだな。幅は二尺五六寸だ。細長くて 丸いもんだからゴロカラゴロカラして危いものよ」
 「漕(か)く時はやつぱり櫓かい?」
 「いや、その時分には櫓なんて氣の利いたものなんか無いんだ。車櫂ばつかりよ」
 「シリカップ獲りに出る時持つて行くものは?」
 「うん、その頃(あたり)は貧乏で、米なんか食へなかつたからな。辨當(べんと) には乾した鰈だの、ワラヂカ(※4)だの、それにニガニヨ(※5)だの、 持つて行くんあ。水は貧乏徳利さ入れて、エンド(※6)つていふ草あるべ、あれで 栓(くち)するんだ」
 「何(な)してエンドで栓(くち)するんだべ?」
 「あの草で栓(くち)すれば、何日(なんにち)置いても水の味が變らないからよ。それから 菅のピウチョプ(※7 piuchop)の中さイケマ(※8 ikema)、木幣削小刀(※9 イナウケマキリ)、 柁木銛(※10 シリカツプキテ)、 飜車魚銛(※11 キナボキテ)、蕁蔴縄(※12 ハイブシ)、 麻縄、科皮縄(ニベシブン)の三つ繰(ぐ)り(三本縒の綱)といつたやうなものを入れるんだ。 すつかり支度が出來たら、その晩はその舟の傍の砂の上さ寝るんだ」
 「何(な)してそんなことするんだべ?」
 「それあお前、なかなか難しいもんでな。沖さ出る時なんか、絶對女の傍さ寝ないんだ。そして體を 淨めるんだな。宵のうちから舟の傍(わき)さ着衣(まかな)つたまゝ寝てゐて、夜半の十二時 か一時頃出るんだ。そして五里か六里位出れば夜が明けるんだ。場所さ着いたら第一に木幣(イナウ) を拵(こさ)へて、神様さ『柁木(シリカップ)授けて貰ひ度い』つて愛奴語(アイスイタキ)で 頼むんだ」
 「それから?」
 「それから、シリカップ探して歩くんだ。一人で表で漕(か)いてゐると、一人は胴の間で前の方を 見てゐるんだ。いろんな話をする時でも、沖にゐる間は、牛とか馬とか、陸(おか)の話は絶對されないんだ。 鮫なんかでもオヤトワシ(oyatowashi)といふし、イケマのことはペネプ(penup)つていふんだ。今俺 考へて見ると、このペネプつていふのは、水の中で效くもの、つていふ意味なんだな」
 なるほど、そしてシリカップ見つけるまでぶらぶら歩いてゐるんだな?」
 さうだ。一日いつぱい歩くつても見付けられない時や、獲りつぱぐつた時は、その晩沖さ泊るんだ」
 「アンカ(錨)でも入れて泊つてゐるのかい?」
 いや、アンカなんてもの、その頃は無かつたんだ。水の入つてる貧乏徳利さ縄つけて、アンカの代りに沈めて やるんだ」
 「マッケ(※12)も無かつたのかい?」
 「マッケはあつたさ。しかし泊るともりでないし、それに舟も小さいもんだから、本當に必要なものしか持たないんだ」
 「あゝさうか、そして次の日に又探すんだな?」
 「うん、次の日朝暗いうちから又探して歩くんだ」
 「そして見付けたら?」
 「どつちの方で見付けても、先づ先廻りして、眞つ直ぐ頭の方から、寄せるにいゝ だけ寄せて行くんだ」
 「何間ぐらゐ」
 「さうだな、その時によるんだ。水が濁つてゐる時は、六七間も寄せるにいゝが、水が明るいと、三十間位 しか寄せれないな。シャモで綿雲つていふんだな、あの白いもくもくした雲、あの雲アイヌでカムイクル (kamui-kur)つていふんだが、あれのある時は、なかなか寄せられないんだ」
 「何(な)して?」
 「あの雲から時々ぴかつぴかつて稲光するんだ。そしたら舟の影が水さ映る もんだから、野郎(てけすけ)すぐ舟ば見つけてしまふんだ」
 「シリカップは鯨の様に背中出して歩(ある)つてゐるのかい?」
 「いや、背中のメサ(※13)と尻尾(しっぽ)だけしか出してないんだ。目印はそれだけだ。まあ、どつちみち 寄せるにいゝだけ寄せるんだな。そして舟とシリカップとすれちがふ時、ホコ(※14)ぶつとばしてやるんだ」  「三十間も離れて、尻尾(しっぽ)とメサしか出てないものに、よく當るもんだな」
 「それやお前、その頃のシリカップ射手(とり)なんて名人ばりだし、鬼の様な男達だからな。 今時(いまどき)の若い者の様な、夜蚊(よが)のばけものみたいな奴等は一人も居なかつたでや。 見つけたたら大概(たいがい)獲つたな」



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 「それでうまく當つたら?」
 「うまく當つたら、シリカップは直ぐ潜つてしまふんだ。そして暫らくしたら、 キテからホコが抜けて浮んで來るんだ。そしたら、キテはシリカップの體の中で、 横になつて抜けなくなるんだ。すつかり刺さつたかどうかは、ラシュパ(※15  rashupa)を見ればよく判る。うんと強く刺さつた時は、必ずラシュッパが 折れてゐるんだ。したから、ラシュパが折れてゐれば、安心してもいゝ。それから、 あつちこつち引つ張られて歩(ある)つて、シリカップは斃らかすんだ」
 「どの位引つ張られてゐれば死ぬべ?」
 「そのシリカップにもよるけれども、大抵十時間位で斃れてしまふな。その間 ぶつ通しに引つ張られるんだから、長いものさな。初めはとつても勢好(よ)くて、
どんどん引く張るんだ。そんな時は、綱もじりじり延ばさないで片々の手さ手繰んで置いて、 一ぺんにどつ!と延(つ)いてやるんだ。この時イケマを噛つて、ぷうつ!と綱さ吹き かけてやる。そして舟の中の車櫂も板片もみんな繋いで海さ浮ばせて、舟さ引つ張らせる んだな。そのうち綱がたるんだら、手繰りよせるし、引つ張られたら、又延ばしてやるんだ。 そしてゐるうち、だんだん疲れて、しまひには、舟の傍さ引寄せられてしまふんだ。舟の そばまで來たら、ヤサカギ(※16)掛けて、寄せて、頭斬つてしまつて、その頭ば舟の 反對側のコベリさ繋いで置くんだな」
 「何(な)してそんなことするんだい?」
 「そして置かないば、こんど胴中(どうなか)の方を積む時、舟がごろつと轉つて、引つ繰返 つてしまふからよ。胴中は二つに切付て、尻尾(しつぽ)と三つのドンコロ(※17)にするんだ。 そして、尻尾の次のドンコロば四つに切つて、一つづゝそこら邊にゐる舟さ呉れてやるんだ。 これのことをサルツル(※18 sarutur)つていふんだ。それからその次のドンコロの腹しの 方ばレタラニトライ(※19 retar nitorai)つていふし、背中の方ばクンネニトライ(※20  kunne nitorai)つていふんだ」
 「一本獲つたら直ぐ戻つて來るのかい?」
 「いや、見つけたら二本でも三本でも獲るさ」
 「そしたら舟さ積めないべさ」
 「近くに未だ獲らないでぶらぶらしてゐる舟さ積むんだ。そして戻つて來る時は、首を胴の間さ 立てるんだ。ハエヘ(※21 hayehe)ば上の方さ向けてな」
 「そしたら歸るのもだいぶ晩くなるな」
 「あゝ晩くなるとも。日歸り舟で晩の八時頃が早い方だ。十二時、一時の夜中頃に戻るのが普通だ。 さうすると、陸ではシリカップ獲つて來るかと思つて、濱さ、火焚いて待つてゐるんだな。その火ば目 あてにして來るんだ。浪際さ來たら大きな聲で
   モセカル・●(ツの半濁音)エ!(※22)(虎杖=どんぐい=刈つて來い)
 つていふんだ。そしたら女達(あと)は近くの草原さ行つて、虎杖(どんぐい)だの、蓬だの、刈つて 來て、濱さ敷くんだ。そこさ、舟あげて、魚はその草の上さ竝べるんだ。そしてから家さ運ぶんだ。 家の中でも、ロルンプライ(※23 rorun-purai)の下さ虎杖や蓬敷いて置いて、イトムプライ (※24 itom-purai)から魚ば入れて、その草の上さ置くんだな」
 「それからどういふ風にするんだい?」
 「脂肪(あぶら)のある好(い)いところば煮るんだ。その時そこから少しカムイフチ(※25  kamui huchi)さ捧げるだな」
 「どういふ風にして?」
 「生のまゝ火の中さ入れてやるんだ。そして煮た肉はみんなで食べて別れんだ。その次の朝は、この肉 ば二分位の厚みに皆切つて、家の中さ吊すんだ。そして肉の附いた骨は好(い)い加減に切つて、皆煮て、 村中一軒殘らずさ配るんだ」
 「その日又別な人が獲つて來ても、やつぱりさうするのかい」
 「それや同じことだ。さういふ習慣だからな」
 「その頃シリカップ射手(つき)で、名人つていはれた人無かつたかい?」
 「この海岸で幌別位盛んな所無かつたさ。白老や室蘭の舟も皆幌別沖さ來るんだ。何(なん) つて云つたつて、幌別の者達一番うまかつたね。中でも、アソソマ(Asosoma)は名人つて云 はれてゐた。その頃はもう、幌別のアイヌの若い者で、髪下げてゐた者は、このアソソマ一人で あつたな」
 「その他は?」
 「他(あと)はみんなシャモ達(あと)と同じよ。日高や釧路の方は何うであつたか知らない けど、幌別はとても早く開(ひら)けたんだ。その頃はもう、こゝは汽車も通つてゐたしな。ヘカチ (※26)達も、マチカチ(※26)達も、シャモの童達(わらしあと)と一緒に學校さ歩(ある)つて ゐたもんだ」
 「シリカップには種類が無いのかい?」
 「うん、別に種類つて無いけど、體の太く短いのは、チエプニトパ(chiepunitopa)つて云ふし、 細くて長い奴は、トラッキ(toratki)つて云ふんだ。そんなもんだな。それから、ときどき 矢鱈に暴れる奴もゐるな。そんな時は
  お前、神様に招(よ)ばれて行くんだから、おとなしくなれ!
 つていふ様な事を、愛奴語(アイヌイタキ)で言ふんだ。それでも悪い奴だら駄目だ。暴れて暴れて、 鼻つ端の槍ーつまりあのハエヘだーあれで、いきなりどん突いて來て、舟さ穴あけることもあるんだ」
 「家の中へ吊した肉は、どういう風にして食ふんだい?」
 「細くなつて乾せたのば、そのまゝ煮て食ふのさ。なかなかうまいもんだ。その他秋味(あきやぢ) や鱒獲りに山さ行く時だの、シリカップ獲りに沖さ行く時だの、辨當に持つて行くんだ」
 「その他に食ふのは?」
 「それから、頭の皮の剥いて乾したのを、サパルシ(※27 sapa-rush)つて云ふんだが、これも なかなかうまいな。あゝさうさう、忘れて居た、チタタップ(※28 chitatap)つてもの覺えてるか?」
 「知らないね」
 「何がうまいつて云つたつて、こんなうまいものは無いな。これこそ何と云つても一番の御馳走だよ」
 「何で拵(こさ)へるんだい?」
 「秋味(あきやぢ)でも鱒でも出來るけど、シリカップで拵へたものにかなはないね」
 「拵へ方は?」
 「シリカップの眼玉つて、とつてもでつかいもんだよ。いゝ加減な味瓜位だ。その眼玉ば切つて、中から どろどろの汁を出すんだ。その汁ばパッチ(※29 patchi)さ取つて、眼玉の皮は小さく刻むんだ。 それから背骨の繼(つぎ)目を一つづゝ離すと、その中にも汁と、白い皮の様な肉が少しづゝ入つてゐるんだ。 それを皆集めれば、だいぶ大きなパッチに一ぱいになるんだ」
 「ただそれだけを攪き混ぜて食ふのかい?」
 「いや、その小さい肉だの皮だのば、鉈か出刄で叩くんだ。そしてあとから目玉の汁さ混ぜて、 それさシク●(ツの半濁音)ッ(※30 shikutut)なんかの刻んだのも入れて食ふんだ。いや全く うまいもんだよ。それから、どういふもんだか、出刄で叩いたのよりも、鉈で叩いたものの方が、 とつても好(い)いんだな」



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  注
 ※1 シリカップ(shirikap)メカヂキ(女柁木)(Xiphius gladius)。 もとアイヌ語であるが、北海道では和人も一般に此の語を用ふ。
 ※2 カイゴ。舟の兩舷の板(第五二頁を参照せよ)
 ※3 シ●(ツの半濁音)カツプ(shitukap)葡萄蔓の皮
 ※4 ワラヂカ。アイヌ語(warsntuka)の和人訛。ギンポ(銀寶)(Enedrias nebulosus)の類
 ※5 ニガニョ(shiukina)エゾニウ(angelica urs'na,Max)のことを 當地方言でニガニョと云ひ、それに對して、アマニウ(shisuye)(angeica adulis,miyabe,mi.)の事を アマニョと云ふ。原語のshin-kinaは「苦い草」といふ意味である。
 ※6 エンド(endo)。ナギナタカウジユ(薙刀香需)(Elsoholtzia cristana,uilld)
 ※7 ピウチョプ(piuchoppiuchi-o-p)「燧(ひうち)を入れるもの」。燧袋。
 ※8 イケマ(ikema)(cynanchnm,caudatum,Max.)。
 ※9 イナウ・ケ・マキリ(inau-ke-makiri)木幣を削る爲の小刀で、普通の切出しの尖端 を木片に突刺したもの。
 ※10 シリカップ・キテ(shirikap-kite)。柁木を獲るに用ゐる銛(kite)である。穂尖(nochihi)には 金属を用ゐ、胴體(ponehe)には鹿角を用ゐる。下端中央部に穴(kite shuye)があり、それへラシュパ(rashupa)と稱するものを刺し 嵌め、ラシュパの下部を予閉ぢ絲(op-:eshke-ka)によつてホコ(op)の上端に繼ぎ合はす。ラシュパは一尺五寸五寸位の もので、サビタの木(rashnpa-ni)で製する。ホコは二間位で、樫の木で製する。キテには別に小穴があつて、そこから 麻などで製した細い絲を通し、それへ蕁蔴製の縄(haitushi)を結んで約三十間位のばし、更に それへ科皮製の縄(nipesh tnshi)を結んで約二百間位のばして舟中に繋いで置く。
 ※11 キナポ・キテ(kinapo-kite)。キナポとは飜車魚(マンバウ)(Mala mola.)のこと。それを突く爲に用ゐる 銛(キテ)が飜車魚銛(キナポキテ)である。
 ※12 マッケ(makke)。昔の碇で、木製のもの。野邊地方言集にマケとある。
 ※13 メサ(mesa)。背鰭。
 ※14 ホコ(op)。注(10)を見よ。
 ※15 ラシュパ(rashupa)。注(10)を見よ。
 ※16 ヤサカギ。木の枝をそのまゝ利用して作つた鉤で、長さ四五尺位のもの。
 ※17 ドンコロ。太くて短い丸太棒。
 ※18 サルツル(sarutur)。上の圖を見よ。
 ※19 レタラ・ニトライ(retar nitorai)。レタラ(retar)はアイヌ語で「白い」といふ意味。圖を見よ。
 ※20 クンネ・ニトライ(kunne nitorai)。クンネ(kunne)はアイヌ語で「黒い」といふ意味。圖を見よ。
 ※21 ハエヘ(hayehe)。ハイ(hai)(柁木の鼻)の具體形。圖を見よ。
 ※22 モセカル・●(ツの半濁音)エー(mosekar tuye!)

 ※23 ロルン・プライ(rornn purai)。神籬(イナウサン)の方へ開いてゐる窓。神々は此處から出入することになつてゐる。
 ※24 イトム・プライ(itom-purai)。家の正面の方へ開いてゐる窓。
 ※25 カムイ・フチ(kamui-huchi)。火の老女神。
 ※26 ヘカチ(hekachi)。男童。マチカチ(matkachi)。女童。
 ※27 サパ・ルシ(sapa rushi)。「頭の皮」の意。
 ※28 チタタツプ(chi-tata-p)。「吾々が切刻んだもの」の意。
 ※29 パツチ(Patchi)
 ※30 シクヅツ(shiktant)。アサヅキ(エゾネギ)(allium sehoenoprnsum,L.)。



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第七章 ホッキ卷

一 ホッキ卷の意味

 ホッキ卷とは、ホッキ漁のことであるが、その語源は、ホッキ貝を獲漁する爲に、 マンガンと稱する機械を卷くことに、由來してゐる。



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二 ホッキ卷の歴史

 當地でホッキ卷の元老と云へば、知里熊吉氏である。同氏は、十八歳の時より、本年五十歳 に至るまで、三十二年の間、ホッキ卷に縦事してゐる。
 同氏によれば、ホッキ貝は、約四十年程以前から、當地に漁獲されてゐた。その時代の一番古い 人は、カネキ●(¬の下にネ=屋号)といふ人で、この人が當地ホッキ卷の元祖であるとゐふ。



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三 ホッキ卷の季節

 ホッキは、他の魚類の如く、時季によつて多かつたりすることがなく、年中同じ所に棲息してゐて、 漁獲数も年中變ることが少い。併し、他の魚類の如く、何時でも漁獲するといふことも出來ない。それは、 ホッキの減滅を防ぐため、政府で一定の期間だけ、ホッキの漁獲を禁じてゐるからである。
 ホッキの禁漁期は、貝の産卵機関に相當する四月十六日から八月十四日までであつて、八月十五日から翌年 四月十五日までが、漁季(しの)である。



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四 ホッキの種類及び棲息地

 ホッキは海岸線に沿うて、帯狀に棲息してゐる。その種類及び棲息地は次の如くである。
 (ホッキの種類)  (岸からの距離)  (水  深)
 切羽(せつぱ)ホッキ  一五〇間     4・5ー5尋
 赤ボッキ        二五〇間     5ー6尋
 斑(ぶち)ボッキ    三〇〇間     6ー6・5尋
 縞ボッキ        三五〇間     6・5ー7尋
 泥ボッキ        四〇〇間     7ー8尋
 焼(やけ)ボッキ    五〇〇間     8ー10尋
 尻白ボッキ       六〇〇間     10・5ー11尋
 白ボッキ        七〇〇間     11-13尋
 



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五 マンガン及び附属品

 1 マンガン
 マンガンは、海底の泥の中にゐるホッキ貝を獲る器械で、次頁の圖に示す様に、木の 胴と鐵の爪で出來てゐて、後方に網袋のついたものである。
 このマンガンを二個離して海底に落して、その中間に居て、ロクロでこれを卷くと、各 マンガンの爪は、海底の泥の中七、八寸の深さに刺さつて、レーキで土中から色々なものを 掘出す様に、ホッキ貝、女郎貝等を搔き集めるのである。搔きさらつたものは、マンガンの 進行するに従つて、後方の網袋の中へ入るのである。
 現在使用してゐるマンガンは、大分改良されたもので、普通これを「改良マンガン」と 呼んでゐる(第七四頁圖)。それに對して、在來のものは「舊式マンガン」と稱される。
 マンガンの爪と爪の間は、二寸五分と、道廳の規定に従つて、作製してあつたが、 年毎に漁獲𢿙が減少したので、大正十二年に漁業者連帯で出願して、「爪の中心より爪の 中心まで二寸五分」の許可を得たので、以來機械は全部この規定に従つてゐる。
 爪は胴へ刺してあつて、爪と爪との間の胴を、鐵の輪で卷いてゐる。
 
 2 カシラ
 カシラは、浮標である。一尺四方位の厚い板に、一尺位の棒(又は小旗)を、立てゝ ある。そして、カシラからカシラ綱が延びて、海底かのマンガンに結ばれてゐて、常に海上 の舟にマンガンの所在を知らしてゐる。
 又、カシラ綱には強いものを使用して置いて、萬一根綱やワイヤが切れた場合、マンガンを 引き揚げる用をもなさしめる。
 
 3 根綱
 麻の直徑五分のロープで、オモテマンガンには三十五尋、トモマンガンには十五尋使 はれてゐる。兩方とも根綱であるが、普通はトモマンガンの短い分を根綱と云ひ、オモテ マンガンに使つてゐる長いのを、オモテ綱と云つてゐる。
 
 4 ワイヤ
 徑二分のワイヤを、五十尋使用してゐる。これをトモの根綱に結び、一方をロクロで 卷くのである。
 
 5 ロクロ(轆轤)
 徑三寸五分長さ四尺位の、楓の丸棒に、兩端から各六寸位の所に十字に穴をあけ、徑 一寸五分長さ二尺五寸位の踏棒を刺してある。これにワイヤの一端を掛けて、二人 並んで腰を掛けてゐて、手で引き、足を踏んで、ワイヤを卷きつけるのである。
 
 6 トモ車
 トモの床(とこ)へ着いてゐる小さな滑車で、ワイヤはこの車の上を通つて、ロクロ へ行くのである。
 
 7 カガミ板
 ロクロの兩端の心棒を嵌め込んで置くもので、M形になつてゐて、兩端は舷側に釘 附けにして置く。木製のものをカガミ板と云ひ、鐵製のものをカガミ金(がね) と云ふ。
 
 8 取ダンブ
 オモテ綱とワイヤとの境目に附けて、浮かして置く、浮標のことである。

 9 ノセ板
 ウデ木の下に附いてゐる板である。
 海の淺い所はホッキも淺く、海の深い所はホッキも深く、砂の中にもぐつてゐるので、ウデ木 とノセ板の間には、木を挟んで、爪の長さを調節する。



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六 マンガン及び附属品の値段

 マンガン 一組(二個) 二十八圓位
 ワイヤ(二分徑) 四十ー五十尋 十圓位
 麻ロップ(五分徑)
  オモテ綱 三十五尋 七圓五十銭位
  トモ根綱 十五尋 三圓位



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七 ホッキ卷の徑營と分配

 舟・機械の所有者を舟主(ふなぬし)と云ひ、體だけで乗つてゐる者を乗子(のりこ)と云ふ。
 舟主と乗子の分配方法は、舟・機械の消耗費を二分として、殘りを四分づつ分ける 方法もあるが、一番多いのは、「三(みつ)分け」と云はれている方法で、「舟・機械」「舟主」 「乗子」に漁獲髙を等分するものである。
 ホッキ卷の税金は、全漁期間三圓十五銭で、これは舟主と乗子が半分づつ分擔する。
 



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八 ホッキ卷の一日

 ホッキ卷には、二人乗るのが普通である。「一人卷(ひとりまき)」といふ小形 の機械を使つて、一人でやつてゐる者もあるが、大部分は二人である。
 舟は、主として磯船が使はれてゐる。
 出漁は、朝出て夕方歸るのであるが、夏と冬との差異は、
  夏季 朝四時半頃から夕方五時頃まで
  冬季 朝六時頃から夕方四時半頃まで
である。
 朝、日の出前に岸を離れた舟は、二打櫂(にちようろ)で場所まで行き、そこでヤマを見るので ある。

 (舟が沖へ出るに従つて、遠くの山や岬が姿を現はす。何處の岬が鼻を出した所にはどんな ホッキが多いとか、何處の山が頭を出した所はいつも大漁だとか、各自が銘々に覚えて ゐるので、前やま(まいやま)≪近くに見える山や岬≫と後山(あとやま)≪遠方の山や岬≫ とをうまく合はせて、その日の仕事場を定める。)
 ヤマを見定めたら、オモテマンガンを海中に投込む。そしてオモテ綱を延ばして行き、 その端にワイヤを結び、取ダンブを附けて置いて、ワイヤを延ばし、その終端へトモマンガン の根綱を結び、根綱を全部延ばして、トモマンガンを海中に投ずる。すなはち
となるのである。
 そして、舟を取ダンブの所へ戻し、オモテ綱の端を舟に掛けて置いて、ワイヤの端 をロクロに掛けて卷くのである。
 (オモテ綱三十五尋)對(ワイヤ+根綱六十五尋)の割合なので、ワイヤを卷くと、 (オモテ三)對(トモ二)の割合で、兩方のマンガンが泥を掻きつゝ進行する。
 五十尋のワイヤを卷き終へると、オモテマンガンが三十尋、トモマンガンが二十尋進んで ゐるので、オモテマンガンを先に引揚げる。そして、袋の中の漁獲物を舟に移してから、 又ワイヤを延ばし、オモテ綱を延ばして、今揚げたオモテマンガンを海底へ落す。そして、再び 卷くと、今度はトモマンガンが二囘分で四十尋進んでゐるので、トモマンガンを揚げる。
 次はオモテマンガンが六十尋進み、その次にはトモマンガンが四十尋進む。この様に 交互に揚げるのである。次はオモテマンガンが六十尋進み、その次にはトモマンガンが 四十尋進む。この様に交互に揚げるのである。
 普通、一番(一囘を云ふ)卷くのに一時間近くの時間を要するので、夏の日の長い頃で 十三四番、冬の日の短い時で十番位が普通である。
 ホッキは殆んど都市の魚菜市場へ出荷するので、午後五時五十分の下り貨物列車に 間に合ふ様に、全部の舟は時間を計つて歸つて來る。



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九 ホッキ卷の處理

 ホッキを剥身(むきみ)にしたものを「剥ボッキ」と云ひ、殻のまゝのものを「殻(から) ボッキ」と云ふ。
 夏秋季のホッキは、剥身にすると腐敗が早いから、全部殻のまゝ(殻の中では發送後尚 二三日は生きてゐる)米の空俵に一俵七、八十から百位詰めて、運送店に出す。
 冬季のホッキは、剥身にしても腐敗しないし、それと同じ數でも、剥ボッキは殻ボッキの 三分の一位になるので、運賃包装等も安く、持運びも樂であるから、殆ど剥身にする。剥身に したものは、蜜柑の空箱に八十位詰めて、それを更に二、三個位一緒に荷造つて、運送店に出す。
 運送店に出した荷は、夕方の五時五十分の貨物列車で、札幌・小樽・旭川・夕張等、 荷主の希望する土地の魚菜市場へ行く。
 魚菜市場へ着いた荷は、翌朝セリになるのである。賣値が極つて賣却されると、市場では 早速「仕切書(しきりしょ)」に賣値を記入し、その日の荷物の多寡一般の賣行き 狀態等を書添へて、送つてよこす。
 三四囘分の仕切書が溜つたら、荷主の方で代金を請求する。すると、市場では、運賃・ 口銭(普通賣値の一割)・爲替・書留料等を差引いて、代金を送ってくれる。
 
 



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十 ホッキの値段

 ホッキは産卵が大半終つた八月十五日から解禁になるのであるが、その頃は鰮が 盛なのでホッキ卷には四、五ハイ位しか従事しない。従つて値段はいつも良好であるが、十二月 頃からホッキ卷に従事する舟が一躍四、五倍に増加するので、一月二月はどんどん値 が下る。そして、三月中旬、小樽方面の鰊場へ出稼が出る頃から少し値が良くなり、四月上旬、 當地方の鰮の春漁季(しの)が來て、漁夫の大半がその方へ行く時、最高の値を呼ぶ。
 この様にホッキの値段は一定してゐない。夏秋季の比較的値の良い時、殊に時化 の後など一個六、七銭もすることがあり、又冬季一、二月の頃には、一個七、八厘 などといふこともある。平均して二銭位の相場である。



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十一 ホッキ卷の副産物

 ホッキ卷の副産物として、マンガンで獲れるものに、次の如きものがある。
 1 女郎貝・油貝・ソバ貝等は、一日総數七百個位、ホッキに混つて獲れる。このうち、女郎貝 は五割、油貝は四割、ソバ貝が一割位のところである。
 2 ヤステ
 一日平均二、三貫位獲れる。
 3 鰈
 秋・春など鰈の多い時季には、一日二、三枚位獲れる。
 4 鴨
 時折、破れホッキやマンガンの中の蟲を捕るために、マンガンを襲ふのであるが、袋の中へ 這入つて出られず、木乃伊取が木乃伊になつて、名誉の戦死を遂げる。
 5 蛸
 時々獲れる程度である。
 
 
 
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