「丈草の記」宮武 藤之助
丈なす野くさをふみわけて、精魂のかきりを傾けて、やうやうにたとりつきたる
峰のいたゝき、陽将に暮なんとして、路もはるかなる越し方をおもう、
同行二人の遍路の姿にもにて、明治十五年卯月の始、讃岐之国会津の郷をいで立し
いとけなきをの子は白かみの翁とはなりて、いまこれに在りへぬる
八十路のあしあとはつゆくさにおほはれてさたかならねとも、吾いのちをかけてのたびに
しあれば、なつかしくも したはしきかきりなり、
冬はいてつくこほりにさえなまされ、
さかまく北海のなみとたゝかひ、夏は原始のもりにほゆるひくまにあかつきの
ゆめやふられて、いぬるいとまもなかりし
そのかみをおもひいてゝ、
記してもって丈草記という
昭和二十四年春日
宮武藤之助
しるす