「寒 菊」
はしがき
昭和四十六年の三月初めだったかと思います。当時、登別市関係のお仕事をされて
いた故山内一郎先生のご要望がございまして、日野愛憙著「片倉家北海道移住開拓顛末」を
持参して、中浜登美子様(現市長夫人)のご案内で、市の史料室にお伺いいたしました。
私は、孫の厚支が小学四年の頃、「郷土の社会」を学んでいるのを見て、明治初年の
移住苦闘時代のもようを、厚支あてに書いておおりました。そこで、それも共に持参いたしました
ところ、先生は、この二つとも、是非「ぷやら」(登別郷土文化研究会誌)にのせた
いと言われて、三月三十一日発行の「ぷやら」第四号に拙い文をのせていただきました。
その後、世紀の激変ぶりを「お姉さまへの手紙」に書き、さらに日野家の生きざまを
「祖母 日野喜久子のこと」に書きとめておきました。子や孫に伝えておきたいと考えた
からでした。ところが思い立つことがありまして、私の歩んできた人生をまとめてみる
ことにいたしました。何分八十有余歳のこととて、記憶もおぼろで文も拙いのですが、親しい
方々に、登別市の開拓当時の筆に尽くせぬ辛苦と、陰で支えた女性の力を、また、激流にも
似た明治以降の社会の変貌と人間の生きざまなどを、くみとっていただければ幸いです。
なお、これが発行にまでこぎつかれたのは、編集や校正その他に、佐藤誠治先生から
一方ならぬご協力をいただいたからでございます。ここに心から感謝申し上げます。
昭和六十年春 助川徳子(旧姓 日野)